6.1 苦労の末学んだ12の教訓
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研究の興味は、主に進化心理学と生物人類学の二つの領域を背景にした、感情が個体の行動に与える影響にある 進化的理論の枠組みのもとでの情動研究に関して、フェスラーは2004年に発表した感情とリスク行動の関係に関する論文で、自分の観点を述べている 初期の理論では、感情を正の感情と負の感情に大きく分けて議論しているが、多くの研究がこの分類だけでは感情とリスク行動の関連を正確に調べる事はできないことを指摘している
例えば、同じ負の感情である怒りと恐怖は、個体のリスク行動に対して逆方向の影響を与える可能性もある そのため、それぞれの感情の影響を分けて議論する必要がある
最近では、一部の研究者から「評価傾向」理論が提唱され、感情は出来事に対する評価によって引き起こされた反応であり、それぞれの感情はそれぞれ違うタイプの出来事に対応することが主張されている そのため、研究者は異なる出来事の現象学的記述をもとに、いくつかの評価のドメインを決定し、評価ドメインの組み合わせがそれぞれの感情に対応し、個人が異なる感情を持つ時のリスクへの反応もこれらの評価ドメインと対応していると述べている
しかし、フェスラーらはこのような分類は本末転倒であると考えている
進化心理学の観点では、感情そのものは進化的過程においての生存上の必要から発達したものであり、それぞれの感情にはそれぞれの適応的機能がある
しかし、出来事を人為的に設定したドメインで切り分けて感情の効果を観測することは、特定の勘定とその究極的機能を対応させることを逆に難しくしてしまう
評価傾向理論においては怒りと嫌悪は似たような評価ドメインの組み合わせを持っているため、どちらもリスク行動を促進すると予測する
それに対して進化心理学の観点では、これら二つの感情は異なる適応的機能を持つ
怒りは相手を怯えさせ相手による侵害を阻止する機能があるため、リスク行動を促進する
嫌悪は汚染を回避させる機能があるため、リスク行動を抑制する
実験の結果は進化心理学の仮説を支持するものであり、同時に感情の影響の性差についても、進化心理学の視点から、妊娠・出産などの繁殖プロセスにおける男性と女性の責任の違いで説明することができることが明らかになった
TMT
ヒトは「人間は死ぬ」という事実から、「生存不安」と死に対する嫌悪を障害を通して持ち続ける
それぞれの文化で生成された世界観と自尊感情も、死への嫌悪に抵抗するためのメカニズムである 死を想起させるような刺激は、どれも異なる文化における世界観と自尊感情を高める効果を持っている
フェスラーはいくつかの研究を通して、主に年齢と嫌悪感受性の間の関係を考察することによって、TMTに反論 年齢の増加に伴って死が近づくため、TMTの仮説通りであれば、人々の死へ嫌悪感受性も上昇するはず
1つ目の研究では、嫌悪感受性と年齢の間に負の相関があった
しかし、この研究では死への嫌悪感情のデータを用いていなかった
2つ目の研究では、特別に死の嫌悪感受性を質問紙で測定したところ、同じく年齢との負の相関が見られた
最後の研究では、研究対象を北米とはまったく違う文化を持つコスタリカの人々とし、プライミングの実験手法を用いた
北米の人々を対象とした先行研究では、死への関心をプライミングすると、回答者の嫌悪感受性が上昇したため、TMTが間接的に支持されたと主張されている
フェスラーらはこの結果を、北米文化そのものが死を回避しようとするからだと主張し、死をより直視している文化では同じ結果が再現されないと予測した
実験の結果は彼らの予測通りで、TMTの説明は普遍性を持たないことが証明された
同時に、年齢と嫌悪感受性の間の負の相関は再度観測された
これらの結果から、死への嫌悪感情は環境の中に存在する病原菌と毒素への回避からくるものであり、年齢と一貫して負の相関を示すのは、これらの脅威への慣れから来ているのではないかという可能性が示された
2006年の論文では、疾病回避と嫌悪感情の、人種主義や集団間態度に対する役割を議論している 人々が外集団に対してネガティブな態度を示すのは、病気の感染源を回避しようとする適応戦略だと指摘されている 原始社会においては、内集団に比べて外集団の方が、自分たちがまだ免疫を持たない病原体や毒素を持っている可能性が高いため、意図せずとも内集団メンバーに危害を加える可能性がある また、集団内のメンバー同士は、相互に協力して病気を防ごうとする
これらの理由から、人々は病原体の感染源を察知するために内外集団を区別するヒューリスティックを形成している 1つ目の研究では、人種主義傾向と個人特性である感染脆弱意識の関連を調べた
過去の研究で集団間のネガティブな態度と関連することが指摘されている死への恐怖を統制しても、感染脆弱意識と人種主義の程度に有意な相関が見られ、この二者間に直接的な関連が存在することが示唆された
2つ目の研究では、嫌悪をプライミングすることで参加者の内集団へのポジティブな態度と外集団へのネガティブな態度を有意に高めた
教訓1: 自分の大学や研究室の外に目を向けましょう
幾人かの霊長類学者の指導のもと、自己流の進化心理学を作り始めていたが、わたしの新しいアイディアの多くは、すでに他の人によってもっと明瞭に定式化されていた
教訓2: あなたのアイディアを、聞き手の理解と注目を得られる形で発信しましょう。聞き手にそっぽを向かれては、研究のインパクトが揺らいでしまいます。
彼らの初期の仕事には二つの弱点があった
彼らの著作には膨大な数の複雑なアイディアが、過度に密度の濃い言葉で詰め込まれていた
彼らのスタイルは先行研究の大部分を軽視して、見当違いだと切り捨てていた
教訓3: 科学には傲慢さと謙虚さの両方が必要です
私は"The Adapted Mind"の内容の一部に不快感を覚えたが、進化心理学者による従来の社会科学への批判の多くは妥当
心は空白の石版であるという見方への批判の最も不幸な副作用の一つは、多くの進化心理学者たちが、ヒトの生活様式の多様性を記録した文化人類学者たちの功績を無視してしまったこと
教訓4: 科学の発展は論争好きな研究者のコミュニティによってもたらされています。ですから、一人ひとりが議論に貢献しなければなりません
悪いアイディアが淘汰されるという同じプロセスは、その人自身の分野にも適用されなければならない
進化心理学と出会ったとき、私は彼らの批判の矢が彼らのコミュニティの外にばかり向けられていることにショックを受けた
教訓5: ヒトの多様性を理解することは、心についての仮説を作り、検証する上で重要です
進化心理学の学生の多くは、ヒトの生活様式の多様性に十分注意を向けていないと先述したが、これは多くの理由で間違い
第一に、新しいアイディアを生み出す上で、われわれはしばしばヒトの本性についての自分自身の素朴理論から始める 素朴理論は文化に起源を持つため、必然的に広範な人間行動のごく一部を切り取ったものでしかない
そのため、重要な心理特性であっても、自らが属する文化で際立った特徴となっていない部分は見過ごされがち(Fessler, 2010) もし最初にわれわれがヒトの行動の多様性の記録に学ぶことを怠り、後に通文化的なアイディアの検証もしなかった場合、同じ信念を共有する参加者から得られたデータを用いて、自分の文化の素朴理論をトートロジー的に裏付けるリスクがある
例) 大学人が属する文化には、支配的なものを排除し、名声を重視する地位体系が存在する
これに呼応して、ほとんどの研究者は、女性は男性を配偶者として選ぶ際、前者を軽視し、後者を重視するだろうと仮定する
この仮定は、女子大学生、つまり同じ文化圏のメンバーの選考を研究することで確かめられた
しかしながら、民族学的視野を広げると、すべての女性がこの選好を持っているわけではないことが示唆される
教訓6: 条件依存的な調整は、多くの進化的仮説において見過ごされてきました。その理由の一つは、おそらく必要なデータを集めるためには、接触の難しいヒト集団を研究対象にしなければならないことが多かったためです。
ヒトの多様性に注目すべき二番目の理由は、多くの適応は条件つきで調整され、発現すると予測できるから
こうした可能性を検証したり、そもそも可能性に気づくためには、われわれはヒトが居住している物理的・社会的生態条件の範囲を考慮しなければならない
例えば、性的不定と感情的不貞への反応における性差
このテーマにおける中心的な論文(Buss et al., 1992)は、この効果は、男性の親としての投資の程度の関数として、文化によって異なるはずだと、洞察にあふれる記述をしている しかしながら、いまや嫉妬については多くの研究がなされ、元の論文では扱われていない文化圏でも調べられているにもかかわらず、父親の投資という重要な要因における多様性との関係について特に注目した文化比較研究は未だに行われていない 教訓7: 進化心理学で最も研究されていない領域、それは文化への適応であり、おそらく最も重要です。
ヒトの多様性に注目すべき3番めの理由は、おそらく最も重要なもの
ヒトは他の種とは大きく異なっているが、それにも関わらず現在の進化心理学の多くは、他の多くの種でも調べられるようなトピックばかりを検証している
ヒトと他の種の違いで最も重要なものを一つだけ挙げるとすれば、それは文化情報への依存
考古学的記録は、文化が人類のかなり初期から行動を形つくってきたことを示唆している
われわれがこのような文化情報へ依存した長い歴史を持ち、また文化情報がわれわれの生存に中心的な役割を果たしたことは、生物進化と文化進化が、二つのプロセスの間のフィードバック関係を伴って、はるか昔から並行して起こってきたことを示唆している 教訓8: 近年の進化心理学は配偶関連の現象を過度に強調しており、これは、おそらく、簡単なトピックから始めようとする傾向を反映しています。つまり、もっと多くの進化心理学者が、もっと難しく、そしておそらく、もっと重要な問いに取り組む時期なのです。
配偶者選択や配偶関係とその維持は、たしかに直接適応度に影響を与える領域であり、そこに適応が働いているのを見いだせる 実際のところ、最近まで、ヒトは配偶者よりも食料を探すことにずっと多くの時間、エネルギー、注意を割いていたはずで、そのため、配偶者探しを食料探しよりも周期的に優先するためには、特殊な適応が必要だったと考えられる(Fessler, 2003) したがって、私は行動・認知・感情の領域が、配偶をテーマに数々の知見を得られたことは認めるが、それでも、ヒトの経験の大部分を配偶の観点から説明しょうと試みることには懐疑的
進化心理学がこの問題にこれほどまでに注目してきた理由
大学の学部生のサンプルから配偶に関係した現象の多くの面を研究することは簡単
若者はこのような問題に取り組むよう動機づけられているから
関連する予測の多くは、素朴理論と一致しており、したがって直感からたやすく仮説を作ることができる
中心的な疑問の多くは親の投資理論のような大変理解しやすい概念から容易に得られる 教訓9: 進化心理学研究を厳密に進めるには、進化の多くの面に付随する理論と知見に一通り親しむことが必要です
仲間の進化心理学者たちの多くは、私以上に知識不足なのではないか
進化のプロセス、集団遺伝学、われわれの種の歴史、現存する狩猟採集民(祖先の淘汰圧を再構成する上で有用な情報源)の民族学、ヒト以外の霊長類(淘汰プロセスと祖先形質の両方の情報源として有用)の研究 これらの知識がもたらしうるインパクトについて、一流の進化論者の仕事に対しても、さらに解釈の余地を広げてくれる例
人種の心理学を研究している進化心理学者の主張によると、現在は人種のマーカーとして使われている表現型の特徴は、祖先集団においては連続的に分布していたということ つまり、人種の心理の基礎となっているメカニズムが、連合や民族との相互作用ではなく、多種との相互作用のために進化したものであり、人種の心理の本質主義的特徴もこれによって説明できる可能性が出てきている(Gil-White, 2001) 進化心理学の本質は学際性にある
進化心理学者向けの他分野の教科書が散見されるが(例えば、Nettle, 2009)、たいていは、原著論文を読み、その著者と直接話すことに代わるものはない 教訓10: 心理的適応の進化の歴史に注意を払うことで、しばしば、その最適化を阻んでいる特徴を含む重要な特徴が明らかになります。
進化心理学者はしばしば、適応の歴史がその働きに影響することがあるという進化の一面を過小評価している
ある適応について仮定を立てる時、まずはそれが高度に最適化されていることを前提に置いてみるのは、ヒューリスティクスとして有効 しかし、仮定した適応がどのように作用するかを詳細に理解したいなら、自然淘汰がしばしば不完全なメカニズムを作り出すことを知っておかなければならない
最適化を妨げるものは多々あるが、進化心理学者にとって本質的に重要なのは、適応はたいていゼロから生み出されるのではなく、既存の特徴の修正によって進化するという事実
したがって、様々な心理学現象は、既存の適応を修正して組み合わせることで創り出された、洗練されていない、その場しのぎの解決策と呼ぶのが適当(Marcus, 2008) 例えば、嫌悪の感情を考えてみる
しかし、性的嫌悪は通常の嫌悪に伴う吐き気や類似のクオリアをもたらす こうした反応は性行動には何も関連しない一方で、個体にはコストを負わせる(採食機会を逃したり、一時的に身動きできなくなるなど)
なぜこのようなクオリア生じるのか、考えられる答えは、嫌悪は本来、毒や病原体の摂取を避けるため採食行動を抑制する手段として進化したということ
それが転用のプロセスにより、複製・調整されて、異なる適応上の課題、すなわち繁殖行動の回避に用いられるようになったため、最適なものではなくなっている
適応の検証に有効なツールでありながら、これまで、進化心理学であまり用いられてこなかったのが、比較分析 教訓11: 非凡なプロジェクトと平凡なプロジェクトを組み合わせた、バランスのとれた研究のポートフォリオを持つことが重要です。
研究プログラムをデザインする上で、非凡な予測と平凡な予測の区別をすることは有効
非凡な予測は、その現象の現在の科学的理解とも、対応する素朴理論とも相容れないもの
平凡な予測は、それが科学的なものにせよ素朴理論によるものにせよ、われわれの現在の世界の理解と一致したもの
コストとベネフィットの観点で言えば、非凡な予測がハイリスク・ハイリターンである一方、平凡な予測はローリスク・ローリターン
教訓12: 進化心理学の発見と洞察は道徳の危機を作り出しますが、その危機のうちには、世界をよりよい場所にするためのチャンスが眠っています――私たち一人ひとりがそのチャンスをつかむべきなのです。
進化心理学者が個人として直面する最大の課題は、ヒトの信念や価値の裏に隠れた根源的要因を暴いてしまった跡で、いかにして道徳的な人生を送るか
世界の道徳体系の多様性を学ぶと、自分が受け継いだ価値体系はたまたま生まれついた一つの文化的環境によって決められたものなのだという結論に至る
生命の進化を学ぶと、そこには超自然的な因果律など存在しないとわかる
遺伝子と文化の共進化、それに道徳と宗教の進化心理学的基盤を学ぶと、価値や信念の体系には内在的正当性などなく、それらは集団が機能するために個人の心の適応を利用するように進化した、単なる装置に過ぎないことを知る
けれどもこの危機をもたらす理論や発見は同時に解ももたらしうる
信念と価値の原因を認識することは、信念や価値をより自由に選択できるようにする
何より進化が形成したメカニズムが優勢な環境に応じて向社会的行動と反社会的行動を調整すると知っていれば、道徳的な生態環境を形成するチャンスが生まれる